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はじめに
私が大学の教壇に立って乳児保育の演習・講義を担当するようになって40年ほどになる。その経緯から話をはじめたい。
昭和45年度のことであったかと思うが、保育所保育指針の改定にともない保母養成教科目に「乳児保育」が登場し、乳児保育の教科書が編纂されるようになった。
私は、当時、都立八王子乳児院の心理技術員の職にあったが、乳児保育に極めて近い立場が評価されたのか、執筆依頼が相次いで、何冊かの教科書に名前が載ることとなった。
このため、乳児保育が専門のように受け取られていたためであろうと思うが、昭和46年度から、当時、東京原宿にあった日本社会事業大学で乳児保育を担当することとなった。
講義といっても、乳児保育現場の紹介がまず必要と考えたので、勤務していた乳児院の日常生活場面をカメラに収めてスライド化したフィルムを大教室のスクリーンに上映しながら解説し、ときには「日本小児保健学会」や「小児の精神神経研究会」における発表用のスライドを持参して、施設入所にともなうホスピタリズムの問題、たとえば精神発達遅滞や精神保健、あるいは行動上の問題等々を解説したのである。
学生のリアクションは上々であったと思うが、その理由は現場の情報が不足していたことと、現場経験に乏しいためと考えられる。
後者については実習生の指導をしていても明らかで、乳児の世話どころか、実際に抱いたことのない学生もめずらしくない状況であった。
実習の事前事後で、学生の人格が変わるくらいの印象も受けて、それではというので、当時、乳児院での乳児保育のほかに,自宅でも二人の子どもの育児に奮闘していたので,使用済みの育児用品が身近にあって、授業のある日には哺乳瓶と数種類の乳首をはじめ、おむつや肌着,衣類,玩具等々を用意し,それに新生児大の抱き人形も持参して,教壇で実演して見せ、さらに教場の学生諸氏にも実際にやってもらったのであるが、これが《演習方式の授業》の始まりであって、その必要性が痛感されるようになったのである。
しかし、本格的な演習方式主体の乳児保育の授業の実施は、昭和54年度に淑徳大学の専任教員として「乳児保育ⅠおよびⅡ」の授業を担当するようになって以来であったかと記憶している。
現在、淑徳大学総合福祉学部の教授として「乳児保育Ⅰ」を担当している。また、昨年度まで非常勤講師として日本社会事業大学にて「乳児保育Ⅰ・Ⅱ」を担当してきた。
本書は、「乳児保育Ⅰ」の配布教材であるが、内容は平成20年度の配布資料に基づくもので、ほぼ授業の「実録」である。
演習に時間がかかるために、従来のテキストに比べると、内容に偏りがあり、不足内容が気懸かりである。しかし、重要な点は、演習を通して「乳児保育の基本」を身につけてほしいとの願いにある。
同業諸氏のご批判を仰ぎたい。
2010年1月22日 著者
目次
第1講 乳児保育の概念
1課題【演習1】ファミリーメンバーとの出会い
2乳児保育の概念
(1)乳児とは何か (2)保育とは何か (3)乳児保育
3人間保育
4結語
第2講 ベビー人形に命名する
1課題【演習2】演習用ベビー人形をファミリーの一員として迎え入れる
2ベビーとの出会い
3命名とその機能
4結語
第3講 乳児保育の目的
1課題【演習3】胎児の心拍音と血流音を聴く
2胎児の心拍音と血流音から考えられる保育目的
【演習4】いのちの発生
(1)生命とは何か (2)母親とは何か (3)愛とは何か (4)社会とは何か (5)考える「私」とは何か
3保育問題から考えられる乳児保育の目的
【演習5】法令に基づく乳児保育の目的
【演習6】保育問題から乳児保育の目的を引き出す
4結語
第4講 乳児院の乳児保育
1課題【演習7】このベビーにとって,私は何者か決める
【演習8】ベビー服等を選ぶ
2乳児院の乳児保育
【演習9】乳児院の乳児保育で重要な諸点
【配布資料】
乳児院の保育とアタッチメント
─子どもの発達と養育環境─
1乳児院のホスピタリズムの問題が始り
2ホスピタリズム克服の決め手は保育者の増員と担当制だった
3保育者に不可欠なもの,それはMMK!
4乳児期のアタッチメントattachment
5乳児のコンピテンスcompetence
6自尊感情を育てる
7相手の心を読む
8生活と遊び
9再び「保護」が必要な時代に入ったのか?
第5講 ホールディングの技術
1課題【演習10】ベビー人形をホールディングしてみよう
2保育目的
(1)不安制止;精神的健康の基礎 (2)相互的関係の維持 (3)行動状態のコントロール (4)アタッチメント関係の強化 (5)発達の促進
3抱き方の原則
(1)母親の抱き方 (2)行動状態に合わせる (3)応答関係を維持する (4)日課に合わせる
4保育問題
(1)抱き癖 (2)抱かれ方が下手な子ども
5結語
第6講 母子関係の原点
1課題【演習11】かわいさが湧き上がって (1)接触 (2)目と目を合わす (3)高い調子の声 (4)エントレインメント (5)タイムギバ ー(6)リンパ球/大食細胞 (7)鼻腔内細菌相 (8)におい (9)温熱
3母⇐子 (1)目と目が合う (2)泣く (3)オキシトシン (4)プロラクチン (5)におい (6)エントレインメント
4母⇔子:母子相互作用
5結語
第7講 アタッチメントの形成とその意義
1課題【演習12】他のグループのベビー人形を抱かせてもらう
2アタッチメントの形成
(1)アタッチメントの定義 (2)アタッチメント行動 (3)アタッチメント行動の目標 (4)アタッチメント行動の活性化とその機能 (5)アタッチメント対象
3アタッチメントの意義:心の健康
4健康に関するWHO1999年総会の定義
5結語
第8講 授乳の介助技術(1)
─保育目的と調乳技術
1課題【演習13】ベビー人形に授乳してみよう
2保育目的
(1)適正な栄養摂取 (2)病気の早期発見 (3)アタッチメントの形成 (4)食事行動自立の基礎
3調乳の技術
(1)終末滅菌法 (2)無菌操作法
4結語
第9講 乳児期の発達と保育(1)
1課題【演習14】哺乳期の乳児の発達と保育
【演習15】哺乳介助の留意点
【演習16】『赤ちゃんを育てる10則』を読む
2乳児とともに感動する
3乳児のコンピテンス
4初めての熱中時代
5結語
第10講 授乳の介助技術(2)─授乳の介助手順と栄養方式
1課題【演習17】介助手順に基づく授乳
2授乳の介助手順
3栄養方式
(1)栄養所要量 (2)授乳量(単一処方) (3)授乳間隔
4結語
第11講 授乳の介助技術(3)─必要物品と保育問題
1課題【演習18】授乳技術のプレゼンテーション
2授乳介助の必要物品
(1)調乳に必要な物品:無菌操作法の場合 (2)授乳に必要な物品 (3)消毒に必要な物品
3保育問題
(1)哺乳困難(飲めない) (2)食欲不振(飲まない) (3)飲み過ぎ (4) 遊び飲み (5)機械的授乳
4結語
第12講 乳児期の発達と保育(2)
1課題【演習19】乳児期後半の行動発達と保育
2第二次的循環反応
3人見知りとアタッチメント
4標識(サイン)がわかる
5乳児─乳児関係
6離乳食の介助
7人間に関する基本的信仰の獲得
8結語
第13講 おむつ交換の技術
1課題【演習20】おむつを当ててみよう
2保育目的
(1)身体の健康維持 (2)病気の早期発見 (3)アタッチメントの形成 (4)排泄行動自立の基礎
3おむつ交換の手順
(1)手順 (2)留意事項
4必要物品
(1)おむつ (2)おむつカバー
5保育問題(1)おむつかぶれ (2)おむつ交換を嫌がるベビー (3)機械的おむつ交換
6結語
第14講 乳児期の発達と保育(3)
1課題【演習21】1歳代の行動発達と保育
2心の発達の仕組み
3乳児期の心の発達と保育
(1)反射的段階(0〜1か月) (2)第一次的循環反応の段階(1〜4か月) (3)第二次的循環反応の段階(4〜10か月) (4)標識が登場する段階(10〜12か月) (5)第三次的循環反応の段階(12〜18か月) (6)表象の登場(18〜24か月)
4幼児期の心の発達と保育(1)前概念的段階(2〜4歳) (2)概念的・直感的段階(4〜7歳)
5結語─心は心によって育てられる
第15講 排泄訓練の介助技術
1課題【演習22】排泄訓練の介助
2保育目的
(1)排泄行動の自立 (2)コンピテンスの自覚 (3)アタッチメントの確立
3介助技術
(1)排便・排尿機構の発達を考慮して行う (2)排便・排尿のシグナル (3)排尿を促す (4)昼間のおむつを外す (5)幼児期の介助手順
必要物品
保育問題
(1)熟睡を心がけること (2)排尿機構の成熟に合わせること
結語
第16講 ベビーサインから心のメッセージを読み取る
1課題
2ちょっとした感動のエピソード
3標識(サイン)の理解
4象徴(シンボル)の理解
5結語【演習23】手遊び歌からベビーサインを考える
第17講 乳児期の遊びと指導
1課題【演習24】乳児期のおもちゃで遊ばせてみる
2遊びとは何か
(1)遊びの意味 (2)ホイジンガーの定義 (3)カイヨワの定義 (4)遊びの特性 (5) 遊びの本質
3子どもはなぜ遊ぶのか?
(1)エネルギー節約説 (2)スキル練習説 (3)リラックス説
4遊びの種類
(1)パーテンの遊びの種類 (2)カイヨワの遊びの種類 (3)遊びの本質と問題
5遊びの発達
(1)練習の遊び (2)シンボル的遊び (3)規則的遊び
6結語─プレイリーダーの資質─
第18講 保育問題の成立過程と研究方法
1課題【演習25】多義図形
2保育問題の成立過程
(1)保育動機 (2)保育事実 (3)保育問題 (4)常識の限界
3保育実践と研究活動
(1)保育実践に関する保育者の立場 (2)保育者養成に関する教育・研究の立場 (3)保育実践と研究活動
4結語
第19講 詩人,まど・みちおの作品に学ぶ保育のこころ
1課題【演習26】「ぞうさん」を歌う
2母性と父性による保育:「ぞうさん」から学ぶ
3応答性のある保育:「やぎさんゆうびん」から学ぶ
4願望の保育:「一ねんせいになったら」から学ぶ
5人権・子ども尊重の保育:「いくらなんでも」から学ぶ
6結語:利他共生の保育
第20講 ベビー人形との別れ
1課題【演習27】別れにふさわしい「うた」を選び披露する
2どこから来たのか?
3どこへ行くのか?
4赤ん坊の心
5結語
著者紹介
金子 保(かねこたもつ)
1941年横浜市生まれ。慶應義塾大学商学部卒業。同大学大学院社会学研究科博士課程修了。
東京都立八王子乳児院(現八王子小児病院)、母子保健院(現母子保健病院)心理指導員等を経て、現在淑徳大学教授。
「乳児保育Ⅰ」のほか、「生涯発達心理学」、「自己実現の心理学」等を担当。
社会福祉法人至誠学舎立川理事・評議員、恵由福祉会ひまわり保育園理事。
著書は、『乳児保育』(同文書院)、『赤ちゃんを育てる10則』(サンマーク文庫)、『生涯発達心理研究』(学文社)、『ホスピタリズムの研究』『心理発達臨床概論』(川島書店)、などがある。